おはようございます。
久しぶりに福岡伸一の「動的均衡」を読み返しました。定期的に読み返す好きな本です。
タイトル:動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか
著者:福岡伸一
発売日:2009/2/17
ジャンル:科学読み物
ISBN-10:4863240120
ISBN-13:978-4863240124
生命とは何か?2つの対照的な考え。デカルトとシェーンハイマー。2人の違いを表す箇所を本書より引用します。
マーケティングに取り組む人には特に読んでほしい1冊です。生命を機械的にとらえず、流れとしてとらえる。シェーンハイマーはこれまでのデカルト的な機械論的生命観に対して
コペルニクス的転換をもたらしたのです。
物事を静的にとらえず、市場環境全体の流れの中で常に動的に考える。自社、顧客、競合そして市場環境全体が変わり続ける中で常に最適化を図ること。自社だけを市場から切り取って作戦を練っても商品やキャンペーンのみ市場から切り取って考えても生きたマーケティング活動はできません。動的な環境で適応し続けるのがマーケティング。そんなふうに考えるきっかけとなった1冊です。
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久しぶりに福岡伸一の「動的均衡」を読み返しました。定期的に読み返す好きな本です。
タイトル:動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか
著者:福岡伸一
発売日:2009/2/17
ジャンル:科学読み物
ISBN-10:4863240120
ISBN-13:978-4863240124
生命とは何か?2つの対照的な考え。デカルトとシェーンハイマー。2人の違いを表す箇所を本書より引用します。
デカルトの生命観
現在、私たちは、遺伝子が特許化され、ES細胞が再生医療の切り札だと喧伝されるバイオテクノロジー全盛期の真っ只中にある。私たちが、ここまで生命をパーツの集合体として捉え、パーツが交換可能な一種のコモディティ(所有可能な物品)であると考えるに至った背景には明確な出発点がある。それがルネ・デカルトだった。彼は生命現象はすべて機械論的に説明可能だと考えた。心臓はポンプ、、血管はチューブ、筋肉と関節はベルトと滑車、肺はふいご。すべてのボディー・パーツの仕組みは機械のアナロジーとして理解できる。
シェーンハイマーの生命観
生命が分子レベルにおいても(というよりもミクロなレベルではなおさら)、循環的でサスティナブルナなシステムであることを、最初に「見た」のはルドルフ・シェーンハイマーだった。・・・(中略)・・・つまり、私たちの生命を構成している分子は、プラモデルのような静的なパーツではなく、例外なく絶え間ない分解と再構成のダイナミズムの中にあるという画期的な大発見がこの時なされたのだった。まったくの比喩でなく、生命は行く川のごとく流れの中にあり、私たちが食べ続けなければならない理由は、この流れを止めないためだったのだ。そして、さらに重要なのは、この分子の流れが、流れながらも全体として秩序を維持するため、相互に関係性を保っているということだった。
マーケティングに取り組む人には特に読んでほしい1冊です。生命を機械的にとらえず、流れとしてとらえる。シェーンハイマーはこれまでのデカルト的な機械論的生命観に対して
コペルニクス的転換をもたらしたのです。
マーケティングは動的なもの
物事を静的にとらえず、市場環境全体の流れの中で常に動的に考える。自社、顧客、競合そして市場環境全体が変わり続ける中で常に最適化を図ること。自社だけを市場から切り取って作戦を練っても商品やキャンペーンのみ市場から切り取って考えても生きたマーケティング活動はできません。動的な環境で適応し続けるのがマーケティング。そんなふうに考えるきっかけとなった1冊です。
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